第88回リクリエイティブアート 絵画教室@ 放課後デイ in 足利
10月17日。足利の放課後デイにて絵画教室を行いました。参加者4名。他見学(等)。ちゃんと「絵画教室」の時間が設けられているわけではないので、児童達がわらわらと集まってきて大変です!でも楽しい!今日は「何が描きたい?」と聞いたら「猫!」。こないだも猫だったよなぁ、と思いつつ猫を描くことにしました(正確には描くのではなく配置する「配置画」)。「足は何本?」「耳はどこ?」と聞きながら制作していきます。完成した作品は持ち帰ってもらいますが、一旦職員が預かると、「ネコどこ?ネコどこ?」と探し回っていていました。制作してるさなかは楽しんでいるのかいないのかよくわからなかったのですがこういう姿をみると、「自分が作った自分の作品への愛着」というものについて考える事多々あります。「もの」へのこだわり!一昔前「ものより想いで」なんてCMのキャッチコピーがありましたが、私は「もの」へのこだわりを捨象した純粋な「こと」なんてないと思ってます。「もの」についての再考はもっとあってもいいはず。
閑話休題。
以下は考察。
実際、放課後デイで絵画教室を行っていると、制作しないギャラリーがクレヨンをもっていったり、糊をテーブルに塗りたくったりと、集中して制作に没頭できる環境ではありません。また制作自体に楽しみを覚えているような児童が、今のところいません。でもそれでもいいと思っています。そもそも絵画教室を行うことで、何かを探求してもらいたいとか、発達を促すとか、「アート作品」を制作してもらいたいという事が目的ではないので、これでもよいのです。あくまでコミュニケーションの「ツール」としての「アート」。しかしその中にほんのかすかに「ものとの対話」を観取する、ほんのかすかな「契機」を期待しているだけなのです。この「期待」は児童に対してだけでなく現場で働く職員も対象としています。つまり、ある意味この絵画教室は「ものとの対話」の序章であり、そのパフォーマンスでもあります。換言すれば「方便」。そして今私が考えるのはそういう「ツール」≒「パフォーマンス」≒「方便」こそが「Culture」だよなあ、という事です。だから私は「Culture」を賛辞はしてもそれを至上とは考えていない、のだと自覚しています。