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第8回対話の杜「哲学カフェ 嘘のお話し」を開催しました


第8回対話の杜「哲学カフェ 嘘のお話し」を栃木県足利市の「カフェ八蔵」&「ギャラリースペースSAIMON」で開催しました。14名参加。うち半数が哲学カフェ初参加でした。

今回プログラムは前半は私(岡村)がファシリテーター、後半は「NPO法人こども哲学おとな哲学アーダコーダ」理事の清水将吾氏にバトンタッチしましたが、その穏やかな口調に促されるように、皆さん活発に意見を交えつつも和やかに進行し、緩くて真摯、楽しくも大真面目な場が形成されたと感じました。嘘のお話しについて以下、気になった発言の流れを纏めてみます(注:かなり私の解釈がはいっています)。

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●「主観の数だけリアルがありその語りがあるのではないか。だとしたらそれはそれぞれがそれぞれのリアルとその語りに対して『それは嘘だ!』という事ではないか」「つまりそのリアルさとは『本当』でもあるし『嘘』でもある『本当』と『嘘』は重なっているのかもしれない。または明確に区別が出来ないのかもしれない」「嘘ばかりついていると嘘をつくことが本当になってしまう。あの人は嘘ばかりついている、と。この例も嘘と本当は重なっている」●「しかし嘘でもあり本当でもある、では社会が成り立たないだろう。客観的なリアルの基準がなければならないし、その語りがなければならない」「大抵は主観的なリアルを共有するマジョリティが、客観的なリアルさとその語りとなるのだろう」「いやそうではなくて、それぞれの主観の語りのやり取りの中で、合意形成されるものが客観的なリアルとその語りなのではないか」

●「嘘をつくには誰かがいなくてはならない。独りで嘘は付けない」「いや、自分に対しての嘘もあるだろう」「自分に対しての嘘は自分を誰かに見立てているという点でやはり、誰かに対しての嘘だろう。嘘は必ず誰かにたいしての『嘘』である」

●「嘘にはいい嘘と悪い嘘がある」「良い嘘は嘘をつくことで誰かを良い方向に導くのだからそれは『方便』と言い換える事ができる」「すると良い嘘は単に『方便』といえば良いのではないか。嘘は他人に害をなすから嘘なのだろう」「しかし気付かないで嘘をつくこともあるのでは?」「それは気付いていない(他人に害為すことに)から嘘ではない。気づいていない嘘は嘘ではない」

●「『本当』はつまらない。ただ一つの真実だから。『嘘』は無限。だから楽しい」「ネッシーは嘘だったけど子どもは皆無夢中になったし、ネス湖は観光客でにぎわった。ネッシー調査に大きな資金も動いたはず。嘘は文化ではないか?」「ならば芸術や小説も嘘ではないか?」「いやそれは想像だろう。ファンタジーや想像は嘘は違う」

●「結局『嘘』とは他人に害をなす事を目的として、リアル・事実・本当とは異なる内容を語る行為である、と定義つけられるのではないか?良い嘘は『方便』であり芸術や文学の虚構は『嘘』ではなく想像である。それらは『嘘』とは異なる概念と考えるべきである」

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