対話の杜WS『岡本太郎という出来事!』
4月28日。群馬県館林市。アトリエ・プティットゥ ウジンヌにて対話の杜WS『岡本太郎という出来事』を開催しました。2部構成で前半は美術評論家の石川翠氏による岡本太郎の講義。後半は前半を踏まえた対話WSを行いました。 以下私の所感を記します。
前半は岡本太郎はいったい何をしたかったのか?について石川氏が、太郎のパリ時代から帰国後の絵画制作、民俗学への傾斜、太陽の塔へと収斂していく太郎の活動を追って解説をしました。その大まかな要点を言えば、 ①太郎は、現代の漢意たる近代西洋文化の模倣から脱する術を、日本列島の文化(≠日本文化)の原型ともいえる縄文に見出したということ ②しかも縄文をそのまま復古させるのではなく、縄文の心性と現代の技術を新縄文ともいうべきものとして止揚(アウフヘーベン)せんとしたということ。それの集大成・象徴が『太陽の塔』であるということ ③しかも厳密にいえば対立する要素を全体としうまくまとめ上げてしまうような止揚(アウフヘーベン)ではなく、対立する要素を対立するままに併存させるという「対極主義」を太郎は目指していたということ ④そしてそのような太郎の思想と実践は理解されてきたとは言えず、また作品のクオリティとしてもとても成功したともいえないということ、そしてその思想を引き継ぐものも現れていないということ。岡本太郎の実像に迫る研究の端緒にようやく私たちはたどり着いたに過ぎないということ・・・
後半はこの講義を踏まえた対話となりました。当初「爆発したのは何か?」というテーマで対話を予定していましたが変更し、テーマを皆さんで考えることから対話を始め「私たちにとって岡本太郎の多様性とは何か?」というテーマになりました。 そもそも「すべての人がアーティストであるべきだ」という考えが太郎にはあり、それはすべての人が多様な個性を発揮して創造的に生きるということにも通じます。しかし西洋の構築された思想の多様性とはこれは異質であり、また太郎の言うような多様に発露する創造性の在り方は、本当に日本的なものなのだろうか?むしろ日本の多様性とは、型の多様性なのではないだろうか?外来の思想を捨象してその型に注視し型を模倣する。そして型の模倣が蓄積され型の多様性として併存している。その太郎が嫌悪した模倣文化こそが日本の風土に最もフィットした「伝統」なのではないか?だとしたら言葉で意思疎通を図り互いの合意形成を言葉で築く西洋の対話の伝統とはそもそもこれは馴染みようがない。だからこそその伝統を学ぶ意義はあるのかもしれないが、だからと言って太郎のように縄文に人間のプリミティブな生の創造性の源泉を見て、その多様な生き方、在り方を「すべての人がアーティストである」と言うことは、これに明らかに背反しているし、言葉をツールとして意志を確認・承認しあう西洋的「伝統」の必要性から目を逸らさせる事にはならないだろうか?
つまり日本文化における多様性を考えるに3つの方向性を考えることができるかもしれない。 ①型の模倣の文化として、模倣の蓄積による多様な型が併存している、型の多様性の文化 ②①の型の多様性の受け皿のようなものとして、在る、純粋な生の創造性のようなものとしての文化≒縄文? ③①②に欠落している、言葉によって構築される思想の多様性の文化=西洋的(一神教的)思想構築の多様性
そして肝心なことは①の特殊日本的風土に欠落している③の西洋の特殊一神教文化を如何に補完的に組み込んでいくか?という筋道であるはずなのに、岡本太郎の論点はそこをたどらず普遍的人間性ともいえる、創造性の自由な発現という抜け道を用意してしまう。これは東西文化を問わず普遍的な人間の在り方なのであって、その根源へ還れということは相克する文化を如何に併存させるかといった議論の道を見えにくくさせてしまうのではないだろうか(むしろ文化とはそういう普遍性が風土的に制限されることで形成されるものであるはずである)?もっと俗っぽく言えば到底そりが合わない文化が心身に沁みついてしまったもの同士の諍いを、同じ人間という共通項を持ち出して、でも皆それぞれなのだよ、と諭す事で解決はできないだろう。 多様性がそもそも西洋の一神教的文化の文脈を出自とする概念であるからには、これを共生と言い換えることは、私には上記③の必要性を直視せず、②の多様に発露する創造性の在り方に逃げ込む逃避に案内する言葉に思えてしまう。ただしこの逃避を私は否定したいわけではない。しかし目下の重要事項であるのはやはり①の多様性に③の多様性を如何に補完的に組み込むかということであり、その道をしっかり見据えることではないかと思います。
以上多分に主観が入っていますが講義と対話の私の所感の報告とします。 2018年4月28日 岡村正敏