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「対話の杜 テーマ アートと社会」2018年1月24日 東京新橋

2018年1月24日。東京新橋にて 「対話の杜 テーマ アートと社会」を開催しました。 以下報告です。 革細工職人の方やデザイナー、セラピスト、障害者福祉関係の方他等9名が参加。「アートと社会」というテーマでしたので、芸術祭やアート教育の動向や戦争画、千円札裁判、まことちゃんハウス事件、ろくでなし子、ブラックボックス展等スキャンダラスな事例が話題に上るかなと思っていましたが話題に上がらず。主にアートと社会の関係について、各人の体験に即して言葉が交わされていたのが全体の印象でした。また、プログラムは「対話パート」と「纏めパート」と「発表パート」の3つに分けましたが、「発表パート」では自分の考えを言葉で表現するだけでなくホワイトボードに図式化して伝えようとする方もいて、その人に合った表現の特性がある、という事を改めて考えました。以下対話の具体的な内容を幾つか記載します。 「アートとデザインはどう違うのか?曖昧ですっきりとしない」「アートは曖昧で優柔不断。だけど優柔不断を楽しむもの」「人が喜ぶものだけがアートじゃない」「昔友達が山でパフォーマンスをやった。鑑賞者は私だけだった。そういうアートもある?」「アートは社会をやっつける!という考えだったけど皆さんの話を聴いてると、社会はアートを育てるしアートが社会を育てるんだなと思った」「アートは多様性を気付かせてくれる」「対話する前まではアートを社会が囲んでいるという図をイメージしていたが、対話後は社会をアートが包んでいるのではないかと考えた。社会とアートの境界にアーティストがいて、社会をアートの広がりに向かって広げていく事がアーティストの役割(図で説明)」「地→水→火→風→空というセラピーの考え方(地の安定を確立して上昇していくイメージ)をしていたけれども、空から下に降りてくるイメージがアートなのかなと思った(図で説明)」「空→形にする→それを伝達(表現)→差が生じる(既存の秩序との差)→感じる→空(空に戻る)という循環があるのでは(「図で説明」)」「創る(制作)アート、観るアート、参加するアートという考え方があるが、創る(制作)アートがアートの本質だと思う。円柱は円にも見えるし四角にも見えるが円柱が実体であるように、アートの本質は制作にある」 またファシリテーターに関しての意見も少々ありました。 「ファシリは必要だが対話が自然にうまくいっているなら介入はなくてよい。理想はファシリが空気の様になる事」「しかしファシリも参加者として参加した方がいい」「いやファシリは場を仕切るべきだ」 ファシリの在り方について見解は分かれましたが、進行については皆さん好意的に語ってくださいました。 今後もしばらくは「対話」「纏め」「発表」のプログラム構成を試してみようと考えています。                           2018年1月25日 岡村正敏

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