【第16回】東京メタ哲学カフェ『作品とは?』
12月3日。【第16回】東京メタ哲学カフェにてファシリテーターを担当しました。参加者8名。テーマは『作品とは?』。テーマ:「作品とは?」の記録です。 企画 ファシリテーター&報告者 岡村正敏(ケアと生涯学習をアートで結ぶ活動)
以下、東京高田馬場にて開催された哲学カフェ『作品とは?』のレポートです。 平成29年12月3日(日)午後1時30分~5時、参加者8人(男性6人、女性2人)で実施されました。 ●プレコンセプト 哲学カフェに約1年参加してきて思った事。それはダイアローグに重点が置かれすぎる結果、「対話のスキル(質問や傾聴のスキル)」や「対話の意義」が前面に出すぎてしまい、そもそもダイアローグと一体を成す筈である、個人の主張=モノローグの部分が十分に意識されていないのではないか、という所感を抱いてきました。そこで今回は実験的にダイアローグパートの後に、モノローグパート(リフレクション+リコントラクション=振り返りを材料にした主張の再構築)のパートと発表のパート(再構築した主張を言い切る)を組み込んだプログラムデザインを実験的に試みました。 ●コンセプト ダイアローグにおけるモノローグの重要性の再確認。あるいは関係性における主体性の重要性の再確認。 ●方法 次の3つのパートに分けたプログラム構成を試みる ・ダイアローグパート ・モノローグパート(休憩+リフレクション+リコンストラクション) ・エクスプレッションパート(主張内容だけでなくそれをどのように表現するかも含む) ●プログラム 挨拶等5分 自己紹介 一人1分×7=7分+3分=10分 対話『作品とは?』50分 纏め(休憩+自由対話+纏めシート記入 8分以内での発表を目安) 25分 発表(一人8分以内。一言感想でも可。したくない人はしなくとも可) ホワイトボード使用可。1人8分×7=56分+4分=60分 ●工夫 ・テーマが「作品とは?」なので対話の糸口になるように画集などをテーブルに並べ、自由に閲覧できるようにしておく ・休憩時間の活用。重要な対話は休憩時間などのさりげないコミュニケーションの中で成されていることも多いので、モノローグパートを休憩と兼ねさせる ●対話パートの具体的な内容 「作品とは?」で交わされた対話の内容を断片的(そして主観的ではあるが)に以下に記します。 ・レコードジャケットは収録された曲やレコードそのものと一体をなして作品となる場合があるが、作品とならない場合もある。ジャケットそのものでは作品ではないのに総合されると作品化されるのはなぜか?CDジャケットはジャケットデザインと曲、CDがあ分離している傾向が強い。 ・人工物以外の自然物(例えばグランドキャニオン、蜘蛛の巣)は作品か? ・子供は作品といえるのか?生むと産むの違いと作品との関連(作品を産むとは言わない) ・誰かに承認されなければ作品ではないのか?作者一人が鑑賞者の場合は作品ではないのか?または作者も鑑賞者も不在な自然物は作品か?あるいは作者が作品と認めなくとも誰かが後々作品として承認した場合それは作品なのか? ・そもそも承認とは何か?承認とは価値だろうか? ・価値とは目的にかなう価値、有用性の価値だろうか? ・作品の価値とは既存の価値を揺さぶる逸脱性にある。それは目的性や有用性からの逸脱ともいえる。 ・しかし逸脱性そのものがすでに飼いならされ、目的性や有用性に回収してしまう回路が出来あがっている社会に私たちは生きている。結局作品の価値とは、社会の価値体系の内部でしかありえない。つまり目的性や有用性から、本当の意味で逸脱した価値などはありえないのではないか? ・頭の中合でイメージしただけでは作品ではないだろう。理由は鑑賞者がいないから。そして社会性を持たないから。つまり承認がないから。 ・いやイメージしただけでも作品である。この場合自分が鑑賞者であり承認するものであるからそれは作品の成立条件である。 ●リフレクション 自分の主張を再構築(リフレクション+リコンストラクション)する事は苦手な人は苦手であり、今回得手不得手の傾向がきっぱり分かれる事になりました(得意であり好きが多)。また発表して言い切る事(エクスプレッション)に対しても、同様に傾向が二分されました(得意であり好きが多)。しかしこれはあくまで得手不得手や事前の準備の差(そしてこれまでの思索の経験の差)であって、再構築そのものを拒む理由や態度は、今回参加者にみる事はありませんでした。そして同様に、主張の言い切りに関しても得手不得手と経験の差であり、自分に合った表現の方法(例えば図や文学的に表現する等)が見つかれば、表現すること自体を各人楽しむ事は出来たと思います。この事から、主張の再構築と表現は環境と方法論と継続的な実施の場さえ設けられれば、芽は枯れることなく育ってくのではないか、そういった可能性は感じられました。今後も同様のプログラム構成を試していく考えでいます。