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特集記事

「戦後72年。いま感じていることを持ち寄り対話しませんか」参加して考えた事


11月15日。東京新橋。ご近所ラボ新橋での対話イベントに参加しました。 以下感想などです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「戦後72年。いま感じていることを持ち寄り対話しませんか」 テーマが重いので知らない事を憶測で語る事は避け、十分に実感する部分で対話ができるよう思考を整理して臨みました。いざ対話が始まると、自分でも不明であった部分に新たな具体性を築ける事がありました。これは気付きであり今回収穫でもありました。以下気付きを含めて私のリフレクションを記してみます。

●戦後72年。今感じている事について。最も感じている事は、戦争に関する事ではなく、戦争を体験し記憶する個人が十数年で誰もいなくなってしまう、という事実でした。それはその個人の語りを聴き継ぐ事が不可能になるという事です。これは次の文脈でよく言われている事です。

つまり、 「戦争を語り継ぐ者がいなくなるから話を聞こう。そして戦争の悲惨を改めて考えよう(あるいは戦争の事実を明らかにしそれを肯定的にとらえよう)」。 これは社会的な言説でありやがて公的言説に組み込まれる可能性のある証言としての価値を彼らに求める態度です。

しかし私が強く感じるのはそうではなく、 「もうすぐこの世界から退場してしまう世代がある。語りを「聴き継ぐ」事が出来なくなる。その世代がたまたま体験した大きな出来事が戦争であった。だから戦争の体験を個人の体験として聴き継いでみたい」 つまり。公的な言説の形成ではなく、個人との対話に関心が向いています。

「聴き継ぐ」事と「対話」は私の中では通じています。何故ならばそれは個人の思い出を個人の目の前にいる私が、全身を傾けて聴く行為(つまりただ聞くのではなく非言語的にも呼応して聴く)であり、個人の思い出を、同じく個人である私が自分の思い出に組み込んでいく行為であり、それは「対話」という協働で成す想い出の編集作業であると考えるからです(これはR・バトラーのライフレヴィューの考えに近いです)。

纏めます。私は戦後72年という言葉から上記のような内容を強く感じましたが、その理由の根幹には、私に、個人相互で成す「対話」という協働を疎かにしてきた時期があった事の再認と、自戒の念があります。20代の頃は私も公的な言説・・・それは歴史観であったりある種の宗教観だったり、思想であったりしたのですが、それらに対する真偽と修正を投げかける事に熱中した事がありました。しかしそれは常に「公」を目指す言説でありました。その陰で私は私の父母の事をどれだけ知っていたのだろうか?祖父母の事を知っていたのだろうか?のみならず身近な友人や家族、職場の同僚達と「対話」が出来ているのか? 私の考えになりますが「対話」とは個人相互が相互の思い出を互いの個人史に組み込み編集し合い、小さな物語を紡ぎ続けんとする、実存的交わりであるとも、私は考えています。それは文化となり得ることであり、歴史修正にみられる「公」の領域から必ず漏れ零れ落ちていく文化であります(だから個の証言をくみ上げて新しい歴史認識を形成するという事を私は言いたいのでなない)。そして漏れ零れ落ちた部分はそこで「公」とは別の文化を拓いている。それは「公」のアンチとしてあるのではなく、ただ自律した文化として在る。その部分が戦後72年。現在。歴史や思想という「公」の言説が空中戦に火花を散らす空の下、この地上ではあまりにもおざなりにされてはいないだろうか? これは私が亡くなった祖父母の事をあまりにも知らなかった事に気が付いた時、愕然とした体験の、その実感から育んだ私の考えであります。

一方戦後72年という言葉は普通はやはり「戦争」がテーマでもあるのでしょう。その点は否定はしません。これに関しは私はほとんど私の実感に根ざす言葉を持ってはおらず、世間によく言われている言説のどこに納得どころを見いだせているか、という程度にすぎません。

つまり。 戦争は終わっていない。 では何を戦後は引き継いでしまっているのか? それは責任である。責任不在の日本社会の体質。 それが今現在の時局にも様々な文化現象として顕在化しているのではないか。 しかし戦争責任は誰かや何かを弾劾すればそれでよいわけではない。 責任を取る、とは戦後民主主義のcitizenである個人が、citizenとして政治や時局に責任をもってかかわるのみならず、 citizenとしての責任を、家族や友人、職場といった政治や時局よりもずっと身近な、顔の見える、手の届く範囲でしっかりと果たすことに自覚を持つことが大切である。とそう思います。

そして、顔の見える手の届く範囲でしっかりと責任を果たすことは、実は個人と個人の「対話」をしっかりとなすという事と、繋がる部分が大きいと思います。

この最後の部分。公的なcitizenの領域と個人の領域が「対話」によって結ばれる可能性があるという事は、今回対話の中で気が付いたことであり、私にとっては収穫でありました。                               2017年11月16日 岡村正敏

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