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特集記事

第51回絵画教室:老健認知症専門棟

 第51回絵画教室を群馬県桐生市の老健・認知症専門棟で開催しました。今回は「〇から始まる絵画制作」。まずは〇を描いてもらいます。そこからもう一つ〇を描いたり、線を引いてみたりと、相談しながら進めていきます。皆さんいつものように最初は「わけがわからない」といいながら、それでも手を動かしつづけていると「おもしろいね」「いい色になった」等言葉がみられるようになります(または最後まで「わけわかんない」と言われたりもします)。以下具体的な言葉の記録から。「〇描いたら花みたいになった」「こすったら色の調子が変わった。いい色だ。題名は『器』だな。器に見える」「なんだろね。これ。自分で描いてて分かんないよ。急須に見えるし。おかしみたいだね。ほんとだ。おいしそうだ」「小学生。子供が旗持ってる。色がいいね。いろんな色がある」

個人的には、過去お誘いしても1度だけしか参加されなかった方が今回快く参加され描いてくださったのが嬉しくもありました。しかしこの手法の難点は相談しながら進めるので、一度に3名が限度の少人数制絵画教室とならざるを得ないこと。大きく外野に向けてアピールする意味では不向きですが、じっくり制作を補助し一緒に作品を作るというコンセプトにはこれが一番適っています。

 ところで、よくよく考えてみると、私たちが「もの」に集中して、そして徹底して向き合う事は多くはないのではないでしょうか?何かを考えたり考えに則って行動するときはほぼ必ず目的があり、目標があり計画があり打算があり方法があり技術があり・・・そんな感じです。その手段として「もの」が利用されるものとしてあります。対して「もの」の利用ではなく、「もの」に向き合う行為そのものに生きている事の充溢を感じる事。それが「ものをつくる」という事だと思います。しかし私が言いたいのは、そしてそこで終わらずに、その充溢をさらに突き放して「ものを私の所有物」としたいという欲望もまた確かにあるのだという事です。そこに誠実に向き合うとは、それは果たしてどういう事なのか?その落とし前の部分。アートを考察する射程は実はそこまで含んでいると私は考えています。

2017年7月日 岡村正敏

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