第46回絵画教室開催:ケアハウス田園
第46回絵画教室(記録を始めてからの46回目)を栃木県足利市のケアハウス田園で行いました。絵手紙と半紙絵。モチーフは筍・ブロッコリー・椎茸・玉蜀黍・写真(金魚や亀など)から選んでいただきました。約2時間でしたが、皆さん描くことを楽しまれていました。最初の30分くらいは皆さんがやがやとお話ばかりなのですが(最初から黙々と描かれる方もいます)、30分を過ぎると言葉も少なくなり描くことに集中してきます。大体そんなパターンが多い気がします。この30分が一番「描いている」。そのあとはだんだん集中力も切れてくるといった感じでしょうか?ケアハウスは自立した高齢者の入所施設なので制作補助の特別な工夫をする必要がほとんどありません。したがって普通の絵画教室とやっていることは何も変わることがないといえば確かにそうです。しかし自立しているとは言え外出は困難なのでこのような出張式の絵画教室が喜ばれるということと、施設という閉鎖的なコミュニティの中に、外部から世代の違う者が訪れるという、マレビト的な効果はあるようではあります。実際高齢者を含め中高年は、絵画とか彫刻とか技法の確立されているものに安心感があるようで、創造を主眼とした実験的なアートは倦厭される感が強いです。私としては斬新な試みを試したい気もしますが、普通の絵画教室を楽しんで頂くだけでもいいと思います。まずは無理なく楽しむことがあって、要請に応じて工夫を展開し、理念構築までもっていく。そういうことが現場から遊離しない「知」となるのではないか、と。
今のところ挑戦的なことと言ったら、絵画教室と便宜上謳っていますが、私は教えてはいないという事でしょうか?そしてまた仲介者としてふるまってもいないという事でしょうか?私は皆さんと一緒に描く者としてそこにいるからです。事実、私は絵手紙は今まで描いたことがなく、教室を始めたのが手習いのはじめでもありました。私は教える教えられるの関係を超えた、共に描き、学ぶ場としてこの絵画教室という場を意識しています。そこにカルチャースクールとは違った、対等な学びあいの場としての施設文化を見出せたらと思っています。そしてこの学びあいという点においてのみ、この試みはメイヤロフのケア論の核心部「私は、自分自身を実現するために相手の成長をたすけようと試みるのではなく、相手の成長をたすけること、そのことによってこそ私は自分自身を実現するのである。」に通じることが出来るのではないだろうか、と思います。 2017年4月24日 岡村正敏