ユマニチュードについて:『ユマニチュード』REVIEW 再録(2015年老健広報誌初出)
ユマニチュードについて
徘徊、妄想、不眠、暴力暴言・・・。家族による認知症介護の悩み処であります。これらは認知症の周辺症状といいます(BPSD。以下BPSDと記す)。BPSDは認知症になれば必ず起こるものではなく、声掛けや環境(人間関係も含む)整備等によって、大きな差が生じるものであります。如何にして互いにストレスなくBPSDに対応していけばいいのか。「ユマニチュード」は体系化された包括的な認知症ケアの技術であります。それは、イヴ・ジネスト等によって1970年代のフランスで考案されました。
以下では手頃な文献として、『ユマニチュード』(角川ONEテーマ21 新書)を紹介したいと思います(気に留まった方は是非一読してみてください。御家庭でのケアのヒントとして役立つと思います)。
『ユマニチュード』を手に取り項をめくると、目次にこう書いてあるのが目に留まります。「ユマニチュードの衝撃」。「衝撃」である所以はBPSDの9割はユマニチュードによって解決できるからなのだそうです。本書では入院中にBPSDが発症し在宅復帰が困難であった方が、ユマニチュードによって見事復帰を果たせた事例等が書かれています。その定義は「知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションに基づいたケアの技法」。その数何と150以上!全て紹介は出来ないので、以下ではユマニチュードの4つの柱とされる部分の簡単な紹介をしたいと思います。
1 見つめる いきなり現れるのではなく、相手が驚かない距離からゆっくり近づき正面から相手の視線を捉え、少なくとも0.4秒は目を合わせる
2 話しかける 大きな声や攻撃的なトーンで話すと怒られていると感じてしまうので注意。近づいて3秒以内に話しかける。反応がなくとも話しかけ続ける。話す事が無い時は、今背中を洗ってます、頭を拭いてますよ、とケアの実況中継として話しかける
3 触れる 触れる面は広く優しくゆっくりと。ケアをするときは必ずどちらかの手が相手に触れていること。顔や手ではなく腕や背中から。手は決して掴まない。手に触れるときは掌を差し出し相手が手をのせてくれるのを待つ
4 寝たきりにしない 立たせない、歩かせないことが寝たきりをつくっている。立ち歩く事で骨に刺激が加わり骨粗鬆症が防げる。筋肉や神経が活性化する。血液循環が高まる。ただし無理に立たせず人体のメカニズムに則って相手を支え重心を移動させる
正直「衝撃」と書いてあっただけに拍子抜けな感じがしないでもありません。目から鱗が落ちるような事が書かれている訳ではありません。ケアの研修等でよく言われることも含まれています。しかし実際これらの技術を職人技にまで高め身につけているかといえば、疑問です。もしユマニチュードが日本の介護現場で大きな意義を持ちうるとしたら、それはこれまで修得の機会があってもばらばら(例えばボディメカニクスやコミュニケーション、接遇の研修等)であった技術の各々を、体系化し包括的に、誰にでも修得出来るものとして提示した事にあるのではないでしょうか?そしてもう一つ。イヴ・ジネストが「ユマニチュードは哲学である」と言い切る姿勢。これもまた日本ではあまりない事かもしれません。
私はこう考えます。ユマニチュードというメソッドが哲学なのではなく、ユマニチュード確立に向けた現場の取り組み・活動・姿勢が「哲学」(思想という方が正しいかもしれませんが)なのだ、と。ユマニチュードは現場で始まり現場から大きく育ってきました。そこには現場の中から立ちあがってくる「学」の姿が示されています。実際ユマニチュードに対する批判として、そんなことは介護の現場では昔からやっていることだ、そんなことはわかっていても一人一人に向き合うゆとりがなくてはユマニチュードは使えない、といった声があるそうです。そう思う部分は私も多々感じます。しかしでは、その様に言う現場の者達は、自分たちの経験則を振り返りその根拠を求め、それぞれバラバラに点在していたそれら方法を結び付け思想に高めようとしただろうか。そしてまた、その摸索・試行・思索・思考といった実践の総てをもって現場の変革に向かうことが、いったい如何ほどにあったのだろうかと、思いもします。それでも尚、そういった指摘を受け止め、日本のケアの現状を様々な視点から考え、多様な実践の可能性を見出すヒントをユマニチュードから読み取る事が出来るのならば、それは私たちにとって単なる技術の参考以上の収穫になるのではないかと思います。
2015年10月16日 岡村正敏