群大×アーツ前橋 まえばしアートスクール計画:実践b「まちなかだれでも場づくりコース」に参加しました:報告と考察
11月20日(日)。群大×アーツ前橋 まえばしアートスクール計画:実践b「まちなかだれでも場づくりコース」に参加しました。内容は「宮崎晃吉さんと考える、つながるアクションの起こし方」。
進行は、前橋の街つくりのアイデア出しワークショップの合間に、宮崎氏の「HAGISO」での実践事例を紹介するという形でした。
HAGISO→hagiso.jp/
「HAGISO」とは最小複合施設。もともと東京谷中にあった木賃アパートであったものをリノベーションによって、カフェ・ギャラリー・イベント・レンタルスペース等をコンパクトに結合させた「場」であります。
この「場」は行政の箱もの公共施設とは異なる、生活文化に密着した拠点として、そこから街つくりの可能性を開花させてきました(当初からそういった計画はなかったようですが)。例えば、拠点が出来る事で、うちもこんな建物を所有しているから活用してくれ、と向こうから話が舞い込む。そこで民泊を営業する。ただし食事サービスは近隣の「HAGISO」のカフェまで徒歩で出向いてもらい取っていただく。入浴も同じ。浴室はなないので近隣の銭湯まで歩いてもらう。ホテル泊の様に建物内で総てを賄い得ないので利用者は、街に出て無ければならない。すると挨拶や立ち話など、街の住人とのコミュニケーションもしなければならなくなる。これは利用者にとって面倒であるのだが、じつはそれが街の文化に直に触れるという事であり街を知ることでもあります。宮崎氏は利用者に「付加価値」ならぬ「負荷価値」を与えると言っていました。
最小複合施設としての「HAGISO」。これだけを見てみると閉ざされた拠点にしかなりません。昨今の動向を鑑みても、都市計画としてのコンパクトシティや、高齢者福祉サービスにおける地域密着型小規模多機能施設等近似の取り組みは多々見られます。さかのぼれば1976年に始まる西荻窪のほびっと村(→hwww.nabra.co.jp/hobbit/hobbit_mura.htm)にその原型を見ることも出来ます。この講座に参加する前、私の予測は「HAGISO」も同様な物であると考えていました。そして、その自己完結性≒自律性を活かしたまま街つくりという「場」にどの様に参画していくのかが気になっていました。しかし一度コンパクトに凝縮した拠点をそのままにせず、街なかに再分散させていくプロセスが沿革と運営を貫いていて(これも最初から計画されていたのではないそうです。偶然の集積を振り返ってみたら一本の筋が通っていたのだそうです)、これは想定外の内容で在りました。 ちなみに宮崎氏によると、後から知ったことで、イタリアでは「アルベルゴディフーゾ」(直訳すると鳥の巣)という地域再生プログラムが既にあるのだそうです。そして「HAGISO」はアルベルゴディフーゾ
協会から日本は初の「アルベルゴディフーゾ」として認定を受けたのだそうです。
今回、メインは前橋の街つくりのワークショップであったのですが、上記の宮崎氏の「HAGISO」の事例紹介は、私の予測を裏切っていてとても興味深いものでした。ワークショップも机上でのアイデア出しだけでなく、実際街に繰り出して実見したりと楽しいものでありました。
しかし一つ気になった点をあげるならば、「HAGISO」も前橋の街つくりワークショップも、超高齢社会という視点が少し欠けているように思いました。高齢者の存在意義(施設入所者や認知症も含む)を明確にし文化として開拓するような視点が街つくりに組み込まれると、どうなるのだろうか?その為には何をどのように変えなければならないのか?さらに言えばそのうちどこから手を付けるべきなのか?
そういう部分が今後話し合われ実践されて行かなければならないのかも知れません。
2016年11月21日 岡村正敏