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特集記事

Review 『芸術と政治をめぐる対話』

今だからこそもう一度読みたい本 『エンデ全集16 芸術と政治をめぐる対話』

 エンデ全集にヨーゼフ・ボイスとエンデの対話が収録されています。芸術と政治の関係についての対談です。岩波書店からも『芸術と政治をめぐる対話』として出版されています。

 ヨーゼフ・ボイスはカッコ良かった。インディージョーンズを思わせるその風貌。そして行動力、発言のカリスマ性。その総てがカッコよかった。彼は拡大された芸術概念を唱え、芸術家でありながら、社会に政治に積極的にコミットしていった。彼が目指すのは誰もが芸術家として社会を創っていく社会彫刻。その在り方だった。しかしそれはボイスだからこそ、そして60年代と言う時代でこそ、可能であった事なのだろう。もし仮に全員がボイスの様なカリスマの人であったとしたら、絶対うまくいかない筈なのだ。

 20代の頃、私もボイスに魅せられたが、すぐに同じことは出来ない事に気が付いたし、そもそも政治と芸術をごちゃごちゃにするような事はしたくない自分に、正直でありたかった。そして、だからと言って社会との接点に無自覚であってよいという訳ではなかったのだ。だからそれから暫くは芸術と政治(社会)の関係に悩んだものであった。この対談を読むと、当時の私の葛藤がそのまま書かれているようにも思えてしまう。

 エンデはボイスの様な広い範囲で芸術をとらえることをせず、私たちが知る常識的な範囲での芸術の、個人的な手仕事をした創造行為によって、未来の社会の在り方を示唆するような、そういった芸術を大事にする立場をとる。当然二人の意見は食い違うのであるが、私はボイスかエンデかと言われればエンデでありたい。勿論ヨーゼフ・ボイスは現代・日本にいても構わない。それは誰かがなればよい。しかし私には直接関係のない事だろう。

 2020年。東京オリンピック・パラリンピックに向けて、障害者と社会の関係がクローズアップされている。同時に介護や子育ての、地域単位での扶助・共助の仕組みの再構成が摸索されている。アートの世界もそんな時流には敏感である。どちらかと言えば、その流れはボイスかエンデかと言われればボイスだろう。もっとも至極穏やかなボイスだ。しかしそれでも私は、あくまでエンデでありたいと思う。個人的な手仕事としての芸術を、創造行為を大事にしたいからである。「拡大された芸術概念」は「拡散された芸術概念」として四散霧散してしまう可能性の方が大きいし、何度も言うが、私はボイスになれないし、ボイスは何人もいても仕方がないだろうから・・・。

 さて、するとこれから私が考え実践していかなければならない事とは何か。すでに明らかであるだろう。エンデの芸術観から今の社会との接点を探る試みをすると、一体どうなるのだろうか?これが私の課題であろう。                       

                                  2016年 岡村 

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